プロフィール

はじめまして。自分らしい生き方を手に入れるカウンセラーの丘幸子です。

私は祖父母と母の冷戦を息がつまる思いで見守るしかなかった幼少期を過ごし、留学を反対され、喪失感で無気力な10代を過ごしました。

その後、上司の機嫌取りの日々に明け暮れ、退職することに。海外移住したものの、キラキラしていた想像とは180度違う友達も仕事もお金も自由もない生活を経験。

運よく就職しましたがまた何だか違うと思い始め、カウンセリング・コーチングを受講。

「人ってこんなに変われるんだ!」と気づき、親や社会からきゅうくつな思いをしている人達や、「私の人生、本当にこのままでいいの?」とモヤモヤしている人達に自分らしい生き方を手に入れるカウンセリングを提供。

私は2人姉妹の妹で、両親と父方の祖父母と6人家族でした。

親と祖父母が同居している家庭にはよくあることなのかもしれませんが、母と祖父母の仲が険悪で、いつも冷戦状態でした。私が学校から帰ると、祖父母はいつも母の文句を言っていました。

私は大好きな母のことを否定され続けるのを聞くのは本当につらかったのですが、まだ子供だったので、何も言い返すことができませんでした。

でも本当は母を守りたかった。

「大好きな母のこと、悪く言わないで!」毎日そう思いながらもそれを言うこともできず、無力な日々を過ごしました。

家族そろって食べる夕飯はふつうは楽しいはずなのに、我が家は誰もが無言で、毎日暗くて気まずい雰囲気の中、そそくさと夕飯を済ませるといった日々だったのを覚えています。

家族が365日冷戦状態で、父も母を守ろうともしないし、1番小さい私が何とかできるわけもなく、ただ無気力で、本来一番リラックスできるはずの家にいるのにみんなに気を遣い続け、休まる気が全くしなかったです。

そんな風に時は流れ、高校受験の年になりました。

それまで何となく敷かれたレールの上を何も考えずに歩いてきましたが、当時英語がすごく好きで通訳になりたいと密かに思っていたので、思い切って「留学してみたい!」と伝えました。

ですが、田舎の農家暮らしで、両親すらハワイに1度行ったことがあるだけで、私はそれまで海外に1度も行ったことがなかったので、検討の余地もなく反対されました。

今考えれば親が心配してまだ早いと決断したのは理解できますが、当時は「なんで分かってくれないの?」と本気でやる気を失くしてしまいました。

そこから、公立の第一志望(と言ってもこれも親が選んだ学校)に不合格、私立のすべり止めに入学しましたが、毎日「もうどうせ自分で決められないし、本当どうでもいい」という喪失感を抱え、家に帰る時間もだんだん遅くなっていきました。

家族から離れるように友達との時間が増えていって、好きだったはずの英語の英検準2級にも不合格、大学ももう面倒くさくなり、地元の適当な大学に逃げるように推薦で何とか入れることになりました。

そんな頃初めて受けたTOEICは380点、英語が大好きだった自分はもうその頃には完全に消えてしまっていました。

それから大学に入ると、2年生の夏休みにアメリカに1ヶ月短期留学するというプログラムがありました。

私は英語に対してもう全く興味がなかったので「今さら留学したところで」と参加する気はなかったのですが、友達がホームステイ先が2人1部屋だから一緒に行こう!と誘ってくれたのです。

両親に聞くと、「大学のプログラムで安心だし、今まで海外に行ったことがないのだから、1回くらい行ってみたら?」と意外にもあっさり承諾してくれて、半分しぶしぶ行くことになったのです。

そして私は初めて海外に行ったのですが、本当に衝撃を受けました。

空港に降り立った途端、見るもの全てが日本と全然違って「これって本当に映画の世界じゃない?」とそれまで味わったことのないレベルで感動したのを今でも覚えています。

ただ一方で肝心の英語は全くダメで、ホストファミリーとの会話もままならず、本当は話したいけど、聞き取れないし、話せないし、とにかく怖い。こんなにも英語ができないんだと思い知らされて、情けなくて、恥ずかしくて、「なんで英語があんなに好きだったのに勉強やめちゃったんだろう。」と英語をやめた5年間を悔やみました。

そして「来年長期留学して絶対に英語を話せるようになってやる!」と心に決めたのです。

それから日本に帰って、長期留学のことを親に相談しようかと迷っている時に、ちょうど父親がリストラで職を失ったということを知りました。

「え?なんでこんなタイミングで。留学どころじゃないよね。」そうは思ったものの、それまで悔やんだ5年間のこともあり、自分のやりたいことをやっぱり諦めきれませんでした。

「これは私の人生だから」と反対する両親を泣きながら説得し、お金は留学後に絶対に返すからと伝えて、留学を了承してもらいました。

帰国後、就職したのですが、その会社は社長のワンマン経営で、私達は上の決めたことに従うのみといったところでした。

もちろん初めは新入社員なので、指示通りに動いていくしかないと思いますが、その体制が何年経っても変わらず、「私って毎日上司のご機嫌取りしかしてないな」と働く前に抱えていた思いなどとっくの昔に忘れてしまって、上司からの評価ばかり気にするようになっていきました。

「自分はこうしたい」など思う前に「上司はこうした方が喜んでくれるかな」などと考えるようになり、「留学までしたのに本当に何やってるんだろう」と自分で自分に嫌気がさしていました。

そして、上司からいい評価をいただいた時は嬉しかったのですが、またその期待に応えるために自分を押し殺すまで働いて、とうとう顔全体が腫れてぶつぶつができて、何ヶ月もその状態が続いてしまいました。

負けず嫌いの私はいつも限界を超えたことに気づかず、体が先に悲鳴を上げるタイプだったのです。

「私ってこのまま一生ここで終わるのかな」将来に全く期待を持てず、虚しさで押しつぶされながらも退職する勇気も持ち合わせていない日々が続きました。

ですが他にも体調がすぐれないことが続き、このままこの働き方を続けていったら、将来病気になってしまうと本気で怖くなり、退職し、海外移住することにしました。

退職後、娘を出産し、娘が7ヶ月の時に夫の故郷であるマレーシアに移住しました。

海外移住は夢だったものの、到着後今まで1番つらい日々を過ごすことになります。私の中で海外生活はキラキラしているイメージでした。

海外のオフィスに通って、外国人の同僚と英語で楽しくコミュニケーションを取って、海外の街をさっそうと駆け抜ける、そんなイメージだったのです。

ですが実際は、友達もいない、仕事もない、お金もない、子供がいるので自由もない、「こんなはずじゃなかった」想像と180度違いすぎたその現実を受け入れられず、泣き崩れる日が続きました。

また、それまで仲のよかった夫は地元に戻ってきたこともあり、友達と過ごす時間が増え、私のイライラは絶頂に達していました。

毎日ケンカが絶えなくなり、夫には「自分が海外移住したいと言っていたのに、なんで毎日不満ばかりなの?」と言われるけど、「私だって不満なんて言いたくないし、海外生活を楽しみたいと思っているのに、それができないからつらいの、なんで分かってくれないの?」と言い返す日々が続いていました。

たまには気分転換でもしようと幼い娘を連れて買い物に出かけたのですが、洋服を見ながら、「っていうか、こんな洋服買うお金なんてないよね。それにこの洋服買ったところで、誰とどこに行くっていうの?」

気分転換に来たはずなのに、逆に自分を責め始めて心がどんどん苦しくなっていきました

明るいショッピング街なのに1人ゴールの見えない暗闇の中をさまよい続けたようにふらふらと足元がおぼつかないまま、悲しさと悔しさと寂しさと感情が交差して自分でもよく分からないまま、泣きながら家に帰った日のことは忘れられません。

その後、子供が1歳になって仕事を探そうとしましたが、私の住む地域は日本人の求人が少なく、私に当てはまるものはなんと0件でした。

仕事をしない人生は考えられないし、もちろんお金も必要ですし、「この先どうやって生きていけばいいんだろう」と途方に暮れ、今まで感じたことのない絶望感を感じていました。

数ヶ月後、ようやくリクルート会社から1件求人が出てきましたよと連絡をいただき、どんな仕事でも応募しようと思いました。求人は自分の希望とは違いましたが、とにかく受けるだけでも受けさせてほしいとすぐに応募しました。

運よく、その会社に入社できることとなり、ようやく心が一旦ほっとしたのもつかの間。

というのも、会社や仕事を選べる立場ではなかったので目をつぶった部分もあって、通勤時間が往復約2時間かかったり、給料は前職に比べて約1/10になったり(これは外国だったり、半日勤務だったり、営業職で基本給という形だったりという理由もあるのですが)、また仕事の内容もやはり希望とは違ったこともあり、いろんな感情と葛藤することとなります。

「この土地で仕事があるだけでもラッキーなんだよ、子供もいるんだし、ぜいたく言ってる場合じゃないんだよ」という声と、「通勤時間と給料は譲るとしても、やっぱり少しでも自分のやりたい仕事をしたい!」という思いがどうしても最後まで消えませんでした。

それまで海外で仕事することに憧れていて、勉強してキャリアを積み上げてきたつもだりだったけど、実際に働いてみると、目の前の仕事が誰かの役に立っているのか全然見えなくて「私一体誰のために何をしているんだろう?」と自分の本当にやりたいことへのギャップがどんどん大きくなっていきました。

そんなことを感じながらもこの土地で転職先などないのは分かっていて、迷う余地すらない、そう分かっていてもそれでも毎日戸惑いを感じずにはいられませんでした。

そんな日々の中で「じゃあ、本当にやりたい仕事って何?」と問いかけ続けたところ「1人でいいから目の前の人を幸せにしたい!」「目の前の人が幸せになっていく、そんな手助けをしたい!」という気持ちが湧き上がってきたのです。

「目の前の人の役に立ちたい!」自分のやりたいことに気づき、いろいろと模索しながら調べていく中でコーチングやカウンセリングに興味を持ち始めました。

何冊も本を読み、実際に受けてみると、「え?人ってこんなに変われるんだ!」「なんでもっと早く受けなかったんだろう」と驚くほど自分の気持ちが軽くなっていくのを感じ始めました。

そして今までどれだけ周りばかり見て生きてきたのか、どれだけ自分を見失って生きてきたのか、コーチングやカウンセリングを通して、目の前の景色が違う世界に見えるほど自分を取り戻し始めました。

それまでいつも何か違う、なんだかうまくいかない、そうもがき続けていろんな行動をとってきました。海外に行ったり、転職したり、外的環境が人を変えるんだと思ってきました。

もちろんそういった部分もあったのですが、それよりもコーチングやカウンセリングを受けた時の内的変化が衝撃的で、自分の内側からゆっくりと血が通い出すようなあたたかさを感じ始めたのです。

そして、環境自体は何も変わっていないのに心の落ち着きを取り戻したかのように安心し、それは家族や子供にも伝わり、みんなの笑顔が増えていきました。

今振り返ると、それまで思い通りにいかなかったことや海外の全く求人のない土地に移り住んだこと、希望と違った仕事に就くしかできなかったことさえも「なるほど、こういう未来のためだったんだ!」とまで思えるようになりました。

そしてそんな毎日を過ごしていくにつれ、私と同じように何か違うと感じながら生きている人達に自分を整えてくれて、取り戻すことができたこの素晴らしい方法を届けたい!という思いが日に日に強くなっていきました。

初めは、海外でオンライン起業するなんて夢にも思っていませんでしたが、私は思い切ってコーチ・カウンセラーをスタートさせることにしました。

この時も夫や両親には「やめておいた方がいい」と反対されましたが、「もうこれ以上人に決められた投げやりの人生は生きたくない」と思い、反対を押し切って決意しました。

コーチとして多くのクライアントさんとのセッションを通し、たくさんの幸せを共有させていただきました。

一緒に本当の気持ちに気づいたり、悩んだり、考えたり、笑ったり、泣いたり、そしてなかなか1人では達成できなかった目標を達成することができたり。

ありがたいことに、感謝やお礼もたくさんいただくのですが、こちらの方こそ一緒に二人三脚で進ませていただき、ありがとうございますという気持ちでいっぱいです。

「あの時、コーチングやカウンセリングに出会えて本当によかった!」こんなに違う人生を歩ませてもらうことができ、感謝しかありません。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

もしかしたらあなたも私と同じように親や社会からの期待で人生にきゅうくつさを感じていたり、「自分の人生、何か違う」「本当にこのままでいいの?」などモヤモヤしていませんか?

もしもっと自由に自分らしく生きていきたいと思われているのであれば、ぜひ一度お試しカウンセリングでお話を聞かせていただけませんか?